現代的遣唐使(上海旅行記)・前編

東シナ海夕陽
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こんばんは。以前、自己紹介的な過去の旅行の話を記事にしました。
こちらです。

旅と飛行機と私(自己紹介)
SFC修行をするにあたっての自己紹介。旅と自分のかかわり。 学生時代に行ったニューヨーク旅行の思い出話。

 

さて今回はその翌年に行った旅行について書いてみたいと思います。再びむかーしむかしに友人と船で中国大陸に渡った話になります🚢

 

前回の生まれて初めての飛行機&海外旅行がNYという話しが学生の時でした。
今の方もそうなんでしょうが、学生時代って時間はほぼ無限にありますよね?

NY旅行で海外の味を占めた私と友人。その翌年もどこかに行こうぜ!と言う学生特有の軽いノリで 笑 海外旅行を計画しました。
今回のテーマは前回が結構お金がかかった(20万+α)のでお金をかけずに気軽に海外に行く、です。

 

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1.出発まで

私はいろいろと目的地を探します。当時からリサーチというか調べ物をするのが好きだったんですね。
「インターネット」という言葉も聞いたことがなかった当時、海外旅行の情報誌のバイブルと言えば「地球の歩き方」。
ニューヨークの時も買いました。

さて、なにで見つけたかは覚えていませんが、長崎から上海に定期フェリーが出ているのを発見しました。
往路安い寝室(ざっくりいうとベッドはあるが大人数部屋。2番目に安い)で帰りは少し贅沢してB寝室(少人数の個室)で取ってみました。
往復で34000円くらいで安かったです。LCCのある今からすれば大して安くないんでしょうが、当時としては破格の安さでした。
ホテルだけ別で取りました(HISだったかな?)。確か1泊5000円くらいの安宿です。
長崎で1泊前泊してその後5泊6日する合計6泊7日の予定でした。

2.長崎から船で上海に向かってみた!

ちなみに私は旅行のたびにちょっとした手記を書いていたのですが、この上海旅行のスタートの時はすごく余裕かましてました 笑
当時北九州に住んでいた私は電車と高速バスで前日に長崎市に入り、この日はカプセルホテルに泊まりました。

そして翌日いよいよ船着き場に行きます。確か小ヶ倉地区だったかと思います。で、ターミナル窓口についたのですが、スタッフが開口一番「今日の出港は中止です」と。
ふぁぁ?!なんですと!スタッフ曰く台風が近づいていて海が時化る可能性があるとのことでした。
長崎はこんなに晴れているのに!

でもここでごねても仕方がないですね。出港が一日延びました。上海のホテルを1泊分キャンセルし、もう一泊を長崎市内に取り明日再度出発する予定です。ユースホテルを取りました。
で、これから一日何をするかなんですが、私と友人は同じ船に乗る予定だった同じ学生の方と仲良くなりこの日は一緒に長崎を観光することにしました。
彼は上海から最終的に陸路で成都に向かうといっていました。水のろ過器も持参してバックパック慣れしてる人だったなと思います。
ちなみにホテルも同じところにしました。

亀山社中跡で一枚。
亀山社中前セルフィ
(汗だくになりながらめっちゃかっこつけてます 笑)

ここは行ったことある方はご存知かと思いますが、歩きで階段を登って行ったら軽く死ねます。
さて、長々と書きましたが、翌日になり出発です。この日は何とか出港できるとのことで、うれしいやら緊張するやらでした。
ちなみに乗船チケットが残ってたのでアップしてみます。

上海乗船券

(※出港日が8/24となっていますが一日延びてますので25日が実際の出港日です。)

手記を読み直すと、かなり自分は不安になっているようです 笑
長距離航路なんて初めてなのでさすがにビビっていたんだと思います。

3.船中八策?

まぁ不安になっていたのは緊張だけでなく、VISA取得のためと言って船員の方にパスポートを預けさせられたこともあります。
現在の中国は15日以内の滞在であればVISAは必要ありませんが、昔は必要だったんですかね。正直この辺りは全く調べずに行ったわけです。
元気だけです、あるのは。

中国は「元」気がなんでもできるとアントニオ猪なんとかさんも言ってますし。

預けていたおかげで下船前にパスポートにスタンプをもらえました。
査証

出港後、船の中で静かに過ごして夜になりベッドに横になり寝ていた私ですが、徐々に波が高くなってくるのが分かりました。
なにぶん台風が通過して間もない大海原です。
東シナ海先輩は簡単には上海には着けてくれなさそうです。ぶっちゃけ遣唐使の方も海で命を落とした方もたくさんいると推測できます。

そして気づいた時には船酔いになっていました。酔い止め薬を飲んでいたのに!
かなりこの大型の船は揺れました。手記を見直すと、ジェットコースター並みと書いています 笑
厳しい!どうも安い船室は船体の端のほうにあり、揺れやすいことをこの時に知りました。
そこで私は客室から比較的船の真ん中にあるレクリエーション室のソファで寝ることにしました。

しかしこれがさらなる悲劇を生むのでした!

4.世界中の誰よりもきっと最悪の男

レクリエーション室に移った私は少し落ち着いて、再び眠りに入りました。
しかし今度はおなかの調子が悪くなってきたのです。
ソファで横になったはいいけど、毛布も何もかけずそのまま雑魚寝をしていたため、体が冷えてしまったのでした。

我慢できない!私はトイレに駆け込みました。この時だいぶ落ち着いてきたとは言え、まだ船酔い状態だった私は上からも下からも何か出てきそうな感じでもがき苦しみました 笑
こんなにきつかったのは人生の中で初めてだったと思います。

一時間くらいはトイレにこもっていたのですが、この状態でかなり体力を消耗したのでしょうか、その後部屋に戻るといつの間にか眠っていました。

5.海の水が濁ってきた

次の日になると海は穏やかになっていました。なんとか東シナ海先輩の試練を乗り越えたようです 笑
また万全ではないですが、体調も回復してきていました。

周りを見る余裕が出てきたので海を見てみます。むむっ!海水が濁ってきています。淡水が流れ込んできているようです。
長江が近い!もうすぐ上海につく。直感で感じました。テンションが上がってきて体調不良が嘘のように元気になってきました。

実際は海の水が濁ってきてからも数時間は航行したと思います。長江先輩の濁り具合は半端ないっす。
そして暗くなってきてやっと上海に着きました。やっとです。
このころにはすでにテンションが上がってました。

上海タワー記念写真
(友人と船で仲良くなった人たちと上海タワーを背に)

6.上海先輩の手荒い歓迎

到着は夜8時くらいになるとのことで、前日の朝10時からざくっと30時間以上船に乗っていた計算です。

ちなみに上海港は22時か23時だったでしょうか、定刻を過ぎて入港するとイミグレが閉まってしまい船中一泊後翌日の入国になるとのことで、危なかったです 笑
とりあえずイミグレは問題なく通過できホテルに向かいます。ホテルの名前とか場所とかは覚えていないのですが、港から程近くだったことは間違いありません。
友人と夜だから暗くて少し不安だけど、歩いていこうと話をして足早にホテルに向かいました。

これが悲劇の始まり(第2弾)でした。

街中を足早に歩きます。照明がそれなりにあったため、暗くはなかったと思います。人も歩いていますが当然みんな中国人。
因縁つけられたりしたらいやなので目を合わさずスルーしていきます 笑
その時でした。誰かが後ろから大声をあげながら走ってきます・・・。友達と顔を合わせ足を止めます。

するとその中国人は手に手帳らしきものを持って「これお前らのじゃないの?」っぽくまくし立ててきました。
その手帳は確かに友人のものでした。友人は「確かに俺のものだけど、落とすことはない。おそらくスられたかも」と。

お礼を言って中国人から手帳をもらい、さっさとホテルに行こうとしました。するとまたなにか言い出しました。
ksdvkんsllkdfzsqw3l;ら」(中国語)
なんて言ってるかわかりませんが、なんとなく「拾ってあげたんだから何かお礼をくれ」と言っているようです。
するとどうでしょう。この言葉を合図にまわりの中国人が集まってきました。
なんかね人民服みたいなのを着ている人も大勢いて周りを完全に包囲されました。おそらく野次馬も集まって30人くらいには囲まれたと記憶しています。

 

こんな感じです。
囲まれイラスト

危険を感じて中国語が分からないふり(というか実際わからないし)をして友人とダッシュしました。途中まで追いかけられましたが、うまくかわしました。
幸い被害らしい被害はなかったのですがほんと肝を冷やしました。今思い出してもあの雰囲気はやばかったです。

その後無事にホテルに着いて安心したのですが、えらいところに来てしまったなーと初っ端から不安に思った上海上陸一日目でした。

(続く)

 

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